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「高杉さん、僕の離隊を、許可してはもらえませんか」 「藪から棒に一体何だ」 突然訪ねてきた、腹心である伊藤俊助の懇願を気に留めないような表情で、しかし何とも不機嫌そうな声で、高杉は言った。 戦況は、膠着状態であった。数日前まで、昼夜を問わず激しく噴煙が上がっていたが今は違う。次の一手を出す時機が肝要だ。それを逃せば、勝敗は一気に傾く。望みすら消えるだろうさ。高杉はほんの数日前、そう桂を説き伏せたばかりだ。鬼兵隊を動かす高杉は、最前線にいる。 「俊助」 コン、と煙管を盆に叩きつける。灰が落ちる。それがさらさらと崩れ落ちるまで、少しの間を要した。 そうして高杉は顔を上げ、伊藤を睨む。まるで射抜くかのような目つきだ。 「今の状況が分かってんだったら、俺は何も言わねえ。が、そうでなければここで斬るぜ。お前には一隊を任せてある。その責務を放り出すっつーんだからな」 「それは重々承知しています。けれどそれでも僕は、許可をもらわねばならんのです」 「その理由とやらを聞かせてもらおうか」 その次第によっては、という腹積もりだろう。高杉は既に愛刀を手元に引き寄せ、鯉口を切っている。 伊藤は一旦、口の中に溜まった唾をごくりと飲み込んだ。空気も一緒に飲み込んだのか、妙に喉に痛みと渇きを覚えた。しかし、目の前にいる高杉に言わねばならない。言わねば、無許可の脱走と見なされる。鬼兵隊の軍規は、それは厳しいもので有名だった。脱走すると、その気配を少しでも見せれば、問答無用で査問の上、それが認められれば斬首である。 伊藤は意を決したように再び息を吸い込み、そして口を開いた。 「僕はこれから、死人となるからです」 「何?」 高杉は、案の定眉を顰める。 「僕は、全てを捨てて死人となる。そう、言ったんです」 「そりゃ何のためだ」 高杉の声が、唸るかのように低くなった。だが伊藤はそれに怯むことなく、明瞭な発音で、国のためです、と言った。 「お前、この安い国のために働こうっつー腹積もりなのか」 「高杉さんが気に食わないことは、重々承知しています。けれど僕は僕のためにそれを果たすと、そう決めたんです」 一度口に出してしまえば、もう戻ることは出来ない。 高杉と師を同じにする伊藤は、他ならぬその師に周旋の才がある、と評された。軍事や兵学においての才を評された高杉とは違い、つまりはその分野に関しては、伊藤の方が上だ。 「死人となって、国のために何をするんだ」 それを知ってか知らずか、高杉は続きを問う。 「密航です」 思いがけぬ言葉に、高杉は呆気にとられたようであった。 密航と、伊藤はそうはっきりと言ったのだ。それはつまり、この国の外へ出るということだ。そしてその外とは、今の時代一つしかない。 「空へ、行くのか」 「はい」 淀みのない声で、伊藤は答えた。 「これは国の禁を破る行為です。いくら国が開かれ条約が結ばれても、幕府の正式な許可なしには、勝手に空へ渡ることはできない。そこを敢えて渡るためには、死人にならねばならない」 坂本さんが、以前そうしたように。 伊藤は、数ヶ月前に笑顔で去っていった人物の名と顔を思い浮かべ、呟いた。 「僕はこの戦争のために故郷を捨てました。ならばあと捨てるものは、この身しか残っていない」 「何のために、密航をする」 そう問われた伊藤は、今度は高杉を睨むかのような真剣な表情で言った。二人は丁度、睨み合うかのようにして向かい合っている。 「技術を」 「技術?」 「はい。天人の持つ技術を、ものにするんです」 そうすれば、今よりもっとこの国は強くなる。そして、そうすれば、天人の支配など及ばなくなる。 伊藤には、そんな思いがある。そしてそれを、そのまま高杉に伝えた。 「三郎さんだって、もちろん腕の立つ技師です。彼の技術力には目を見張りました。あの難関不落と言われた関門を、たった一発の大砲で落としたんだ。けれど、悔しいが奴らはその遥か上をいっている。だからそれをモノにすれば、松陽先生が仰っていた、本当の攘夷というものを、成すことが出来るかもしれないと思ったんです」 彼らの師である松陽は、いつも繰り返し説いていた。攘夷とは、単に夷を排するものではない。排するのではなく、国力を磨き、夷と対等の位置に立つことだ。そのためにはまず己を知り、そして夷とは何たるかを知らねばならぬ、と。 しかし「松陽」という名が出たことで、高杉の表情から血の気が引き、一気に凍りついたかのようになった。それは高杉にとっての禁句であり、一種の侵してはならぬ神聖な領域にある名でもある。だから鬼兵隊の隊士たちの間では、決してこの名を出さぬよう、暗黙のうちにお互いの同意がなされていた。出せば、どんな命令を下されるかは分からない。 「お願いします高杉さん!僕に、離隊許可を下さい!」 それを承知で口に出した伊藤は、もちろん自らの師であると言うこともそうだが、敢えてそれを口に出すことで、覚悟の程を高杉に伝えようとしたのだ。伊藤は、今はもう額が床につくかと思うほど深く頭を下げている。 高杉は、凍りついたまま微動だにしなかった。しかし刹那の後、はっとしたように表情に血の気が戻る。そして、言った。 「俊助」 「はい!」 弾かれるかのように、伊藤は顔を上げる。 「大人しく俺に斬られ、隊の奴らに屍を晒すか」 低く呟かれた言葉に、今度は伊藤の表情から色が消える番だった。 「た、高杉さん!」 「そして、その俊助という名を捨てるか。俺がお前にやった名だ」 「え…?」 「その覚悟があるっつーんなら、俺が直々に手を下してやるよ。死んでからのことは、俺ァ知らねえ」 勝手にしろ。そう高杉は言った。 「……高杉さん、じゃあ」 「死人になるっつーのは、姿だけでなく名もその存在すらも、全てを消すっつーことだ。俺以外に誰ができる。少しは頭を回せ。オメーは餓鬼の頃から少しも進歩しちゃいねえな」 そして苛立たしそうに煙管に煙草を詰め、火をつける。程なくして、薄い筋の煙が立ち上った。その煙を呆気にとられて見ていたのは、他ならぬ伊藤である。ぽかんと口を開けている。高杉はそれを見咎めると、さっさと抜けと、顎で伊藤の横に置かれた、普段は腰に下げられている刀を抜くよう、促した。 「そ、そんな!高杉さんに刃を向けるなんて僕は」 「じゃあ文字通り斬り捨てるまでだ」 テメーは侍だろう。高杉はそう言って煙草の灰を再び落とし、煙管を横に置いて立ち上がる。そして、ゆっくりと刀を抜き、ピタリと伊藤のこめかみに刃先を合わせた。伊藤は唾をごくりと喉を鳴らせて飲み込んだ。 「覚悟の程を、見せてみやがれ」 その高杉の表情は、本気で目の前の人間を斬り捨てるときの、まるで刃のような冷たさと鋭さを兼ね備える、まさに鬼の頭領とも言うべき顔であった。 「高杉さん!これは一体何が!」 悠々と煙草をふかせている高杉を、平賀三郎が訪ねてきたのはそれから半刻後のことだった。平賀はいつものように部屋の外で声をかけ、そして返答が返ってきてから襖を開けた。そこで、仰天したのである。 高杉が座る上座の向かい、つまり下座には、鮮血が床に溢れていたからだ。襖を開けたとたん、むっとするような匂いが鼻をついたのは、つまりその血のせいだ。 「脱走者を斬り捨てたところよ。死体は捨てた」 「脱走者…ですか…え、けれど先ほどまでは伊藤さんが」 「ああ、その伊藤だよ」 平然と口にする高杉に、平賀は目を剥いた。 伊藤といえば、鬼兵隊の中でも古参の人間だ。高杉とは幼少時からの仲であり、師を同じにする、いわば最も近しい場所にいる人物だと、平賀は思っていた。それを脱走者として、斬り捨てたと言うのだ。 「高杉さん…」 「馬鹿な奴だ、あいつは」 平賀の顔を見ることなく、その血溜まりを見て、高杉は呟く。 「だが、悪い奴じゃあねえよ。餓鬼の頃から、俺の後ろをついてくるばかりの奴だったがな」 「けれど高杉さん!伊藤さんは」 「死んだ奴のことを言ってもしかたがねえ。おい三郎、件の兵器の開発はどうなってんだ。その報告に来たんじゃねえのか」 「はい、確かにそうですが…けれど…」 言葉を詰まらせた平賀は、高杉の反応を待つ。すると高杉は煙草の煙を吐いて立ち上がった。 「古参だろうがなんだろうが、軍規違反だ。誰であろうとそれを犯せば斬り捨てる決まりになっている。皆にもそう徹底させろ」 そう言った。後は、この床を掃除させろと、素っ気無く言っただけだった。 「報告をこのまま聞きてえところだが、できそうにもねえな。また後で出直して来い」 そしてそのまま部屋を出て、何処かへ歩いていってしまった。 後には、床にできた血溜まりと、平賀だけが残された。 「馬鹿な奴だよ、テメーはよォ、俊助」 歩きながら、高杉は呟く。そして、ほんのつい先ほどのことを思い出していた。 刀を抜いた伊藤は、徐に自らの左手の掌に刀の刃を当て、そしてそのままぐっと握り締めたのだ。血が刀の刃を伝い床に落ちるが、伊藤は苦痛に顔を歪めることもなく、己の額に刀を突きつけた高杉を睨み据えた。そして、口を開いた。 「高杉さんにとって、松陽先生が不可侵の存在であるように、僕にとって高杉さんはそのような存在です。その高杉さんに刃を向ける位ならば、己自身で身を刻みます。本来ならば、ここで左手を落とすことも厭いません。けれど、そうしたら技術を学ぶことが難しくなる」 だからこうするのだ、と伊藤は言った。床に落ちた血は、小さな赤い池を作り始めている。 「僕にできるのは、今はこれが限界です。それでもまだ足らないと言うのならば、遠慮なく斬り捨ててください。僕の覚悟は、その程度だったということでしょうから」 高杉は、その言葉を反芻した。そして伊藤の眼を思い出す。 痛みを感じていないかのような、否、感じているからこその、厳しい顔と共に見せた、決意を秘めた激しい眼であった。 「……だがまあ、嫌いじゃねえよ」 口の端を僅かに持ち上げて、高杉は薄く嗤った。 行って来い、俊助。そう小さく口に出して、高杉はまた嗤った。 (2007.08.20 高瀬) サツキさんへ! |
高瀬さんより頂きました!!!!
旧鬼兵隊!!!しかも伊藤!!!
高瀬さんのお書きになる2人は本当に格好良いですvV
キレイな文章にホレボレ〜vv
本当に有難うございました!!!
そんな高瀬さんの素敵サイトはこちら!
